「私は若く、オシムは頑固だった」



マスコミが大好きな固有名詞+象徴的な単語の構図。

そろそろほとぼりも冷めたかと思ったが、
江川卓がまだ言っていた。

カタール戦後のテレビ朝日のインタビュアーは
相も変わらず稚拙だった。
オシムが言を荒立てるのも分かるし、06年の
ヒデが苛立ったのも分かる。

http://www.geocities.jp/aoiroflamingo/soccer/09.jpg
※写真に深い意味はナッシング。

テレビ朝日もやっとまもとなアナウンサーの
田畑氏、通称タバヤンを繰り出してきたようだ。


今更ながらキリンカップモンテネグロ戦の記事が気にかかる。
デヤン・サビチェヴィッチのインタビュー記事だ。


■私とオシムの間に確執があったのは事実

――あなたはオシムが率いたユーゴスラビア代表で、多くの試合を経験しています。1990年のW杯も一緒だった。だから、オシムのことはよく知っているはずです。彼はどんな監督で、どんな人間なんでしょう

 彼が素晴らしいコーチであることに疑いの余地はない。彼は、私が一緒にプレーしてきた監督の中で最も優れた監督の一人だ。優れた戦略家であり、向上心のある人間だ。サッカーに対して非常に勉強熱心で、ほかの監督とは違う視点から多くの物事を見ることができる。彼は非常に教養のある、まれな監督でもある。彼が日本代表監督という非常に重要なポストにあることは私もうれしい。そして、日本代表が彼の下で素晴らしい結果を手にすると信じている。

――でも、あなたとオシムの間に確執があったことはよく知られています。オシム監督の下では、あなたはスタメン出場が妥当と考えていたにもかかわらず、控えになることが多かった。当時のエピソードを聞かせてくれませんか

 確かに、私たちの間に確執があったのは事実だ。当時、代表のプレー内容、例えば戦術や選手起用に関して、2人の考え方が違っていた。私は若く、プレーすることを望んでいた。もっと多くのプレー時間が与えられるべきだと思っていたし、代表はもっと攻撃的にプレーすべきだと思っていた。だけど、当たり前のことだが代表のボスはオシムであり、戦術や選手を選ぶ権利は彼のものだった。

 あれは、ザグレブで行われたW杯予選のスコットランド戦(1989年9月)の時のことだ。私はスタメンの11人に入れないことを知って、感情的になってチームから離脱してしまったんだ。その日の夜、私はホテルに戻った。すると、オシムは処罰を与えるのではなく、ただ黙っていた。私たちは何もコミュニケーションは取らなかったけど、私はチームの一員として残ることができた。みんなは何か処罰が下されるものだと思っていたんだけどね。
 スコットランド戦では、私はユニホームをもらい、控え選手としてベンチに座った。そしてオシムは後半から私を投入した。何と説明したらいいのか。私はあの時、若くて幼稚だった。そしてオシムは少し頑固だったんだ。



「私は若く、オシムは頑固だった」





老指揮官を苛立たせるメディアは不要。
多少の好不調は飲み込んで長い目で
日本代表の成長を見守りたい。

大切なのはオシムの言葉でもオシムイズムでもない。
日本の追い求める姿が何か。
そのロードマップは何なのか。
オシム監督はその手段に過ぎない。

一朝一夕で成果の出るものではない。
選手とメディアは若造から紳士に成長すべし。
そうすることで頑固な指揮官とも胸襟を開き
話し合え、理解し合えるはずだ。


まずはアジアカップ優勝だ。
豪州、韓国ともにグループリーグ敗退の危険を孕んでいる。
日本も油断できないが王者の威信をもって闘ってほしい。