川面に映る夕日の如く

なんていいうか、
人の愚痴なんて聞くのは嫌だし、
止め処のない愚痴ならなおのこと。

だから自分も愚痴なんていうのは嫌だけど、
ついつい出ちゃうこともある。

そんなときは言ってスッキリするけど、
言ったことで後悔したりもする。

これしきで愚痴るのか?なんて、
自分自身の弱さを疎んだりもするものだ。


そんなときに電車の車窓を流れる風景や、
高速を走るときの目の端に流れ消え行く風景を、
なんとなしに見ているとそんな考えがリフレインする。

曇天の風景だとその想いが強くなるもの。


ただ、この間見た風景は若干違っていた。

良く晴れた川辺。
少し川幅のある大きな川の川辺。

曲がりくねった川の丁度、丁度曲がり角。
同じ川面でも静に漂う内側と、激に賑わす外側と、
その違いがあることに気付く。

山の端に差しかかろうかと言う夕日は、
視線を投げかける先から飛び込んでくる。

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強烈な光だ。

夕日の強い光を見ていると、愚痴をこぼすことに
躊躇する下らなさを戒められた気がした。
そして不遇に喘いでいると思い込んで愚痴る自分にも。

なんとなくだ。

なんとなく。

何も真剣に考えているわけじゃない。

つまり、今って結構追い込まれているんだなって。
つまらない事で、気分を荒立てて、人に噛み付いて、
追い込まれているせいだって思うしかないって。

実際、追い込まれているのかも知れない。
隣でのほほんとしている人と比較して、
他人の分の負荷まで背負い込んだみたいな
そんな気になったりして。

なんとなく夕日を見て思ったのさ。

他人の暇さに苛立つよりも、
他人の無責任さに苛立つよりも、
自分の不運な巡りあわせに嘆くよりも、
淡々とこなす事が大事だし。

なんとなく夕日を見て思ったのさ。
この大きな流れの速い川面と一緒に見るとね。