縛られるのにはもう飽きた。

フリーダム。

一体どういう意味なのか・・・?

その語源は昭和40年代の高度経済成長期に遡る。
世はまさに日本のイケイケドンドンの成長期。

終身雇用、年功序列と滅私奉公に支えられた日本企業は
護送船団、関税障壁を追い風に瞬く間に世界を駆け抜け
世界第二位の経済大国を作り上げた。

一方、国内で増大する電力需要を賄うために、
ダム建築ラッシュを起こった。
そんな中でも一大プロジェクトとされたのが、
関東一円の電力需要の30%を賄う事を期待された

振井ダムプロジェクトだ。

関東の水瓶、振井湖を始めとした振井水系。
南アルプスからの雪解け水もあり、安定した水量が見込まれるため
この計画は国家の威信を掛けて企画されたのだった。

時の首相、田中角栄の肝いりで勧められたプロジェクトであったが、
目まぐるしく変わる天候、そして急峻な斜面といった周辺環境が、
まるで聖域を侵した罪びとに罰を与えるが如く、計画の前に立ち塞がった。

実に計画初期の段階で、延べ1,221人の重軽傷者と43人の死者をだした。

国家の肝いりということで、当時の建設省かなり強引にことを進めてきたが
度重なる事故は緘口令の隙間を縫ってマスコミの衆目にさらされることとなり、
計画は頓挫するかに見えた。

しかし、時の建設大臣である阿久麻里男は発想の転換によりこの危機を脱する。

それは外国人労働者の導入であった。

当時のアジア各国、特に中国や東南アジアの人件費は日本のそれと格差があり、
また、俗に言う3Kなどものともしない労働力があった。
もちろん人権団体などの反対もあったが、水資源開発公団の強引な進めにより
危険な現場作業に外国人労働者をつぎ込むことになった。

しかし、懸念された言葉の壁も問題なく作業は機動に乗った。
・・・かに見えていた。
しかしそれは虚像であり、依然として事故は減らず、遺族が糾弾する術を持たない
外国人労働者は体よく使い捨てられているだけであった。
そこには当時の建設大臣の策略があり、彼ら外国人に外との連絡手段を一切に
持たせなかったのだ。

電話、手紙はもちろん、外出さえも。
見方を変えれば強制収容所での労働に等しいとさえ言えた。
そして日本語を教えないようにという手段によってそれは徹底されたのだった。


しかし、そのときある国から来た青年が手に持ったシャベルを振り上げて、
工事監督員の日本人に向かって立ち向かった。
その光景を見たほかの外国人、(実は団結させないようにことなる言語の人々を
あえて同じ班に振り分けていたのだが)も自然とシンクロナイズしていき、

暴動、いや、反抗と言うべきか、その動きは瞬く間に広がっていった。
まさに不当に抑圧され、虐げられたもの達が自由を求めて蜂起するようであった。
言葉を異にする人々が我先に張り上げた一言がまさにたった一つの共通の日本語。
そう、そのある国、ブー帝国から来た青年が最初に放った言葉だった。


振井ダム!

そう。


フリーダム!










以来、この言葉は『自由』を象徴する言葉として世界中に伝わっていった。
英語で表記するとFREEDOM。



※追記:うっそぴょ~~ん。



そういえば最近、足首を怪我をしまして。
こんなもののお世話になっております。


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ニトリートのエラスティックバンデージ。

でも締め付けられるのって好きじゃないんですよね。

やっぱ、自由が一番!

ブリーフよりもトランクス!

イッツマイフリーダム!