悪党に墓標は必要だろうか


本日公判が終了したそうで。




世間を騒がす事件と言うものがある。

一種のエポックメイキングなものとなるのか。

それがシンボリックなものであればあるほど
様々な立場の人間が異なる意図で絡んでくる。


山口県光市の母子殺害事件で、広島高裁で開かれた差し戻し控訴審の公判終了後、遺族の会社員本村洋さん(31)は28日、広島市内で記者会見した。元少年の被告(26)の口から殺意と乱暴目的を否認する言葉が次々と出たことに「聞くに堪えない3日間。あまりにも身勝手な主張が多く、亡くなった者への尊厳のかけらも見えなかった」と語気を強めた。
 本村さんは3日間の法廷に、亡き妻と娘の遺影を胸に臨んだ。この日、被告が退廷する間際、事件後に初めて目が合ったという。「鋭い目でにらみ付けられた。遺族を見下ろされた。きょうほど憤りを感じたことはない」と深い怒りをあらわにした。 


そもそもは元少年という皮を被った
基本的人権すら値しない奴だ。

こいつを7年間ものさばらせておく
というこの国の法体系に愕然。





そして死刑反対という考えを持った
自称弁護士達が徒党を組んで
この裁判を晒し者にしていることに愕然。

こっちのほうが深刻。

明らかに贖う事ができない罪を犯した犯罪者。

その残虐性、姑息さ、浅薄さ。
もはや罪を償う行為すら許さずに
この世から痕跡を一切消去すべき。




永山基準
連続4人射殺事件の永山則夫元死刑囚=事件当時(19)、刑執行=に対する最高裁判決で示された死刑選択をめぐる基準。①犯行の罪質②動機③態様(殺害手段の執よう性、残虐性など)④結果の重大性(被害者の数など)⑤遺族の被害感情⑥社会的影響⑦犯人の年齢⑧前科⑨犯行後の情状―の9要件を考慮した上、罪刑の均衡や同種犯罪の予防の見地からやむを得ない場合に極刑が許されるとした。山口県光市で1999年、会社員本村洋さんの妻=当時(23)=と長女=同(11カ月)=が殺害された事件の1、2審判決は、当時18歳だった被告について、永山基準に照らして年齢などを考慮し、無期懲役とした。しかし、最高裁は2006年6月、同基準を適用した上で、「特に酌量すべき情状がない限り、死刑を選択するほかない」と述べ、無期懲役判決を破棄し、審理を広島高裁に差し戻した。 


前例第一主義。
そんな無意味なハードルを自らに設定したがる日本人、
特に事なかれ官僚主義、これらがもたらした弊害に
この事件も流されるところだが、やっとやっとの死刑判決

しかし、この事件を死刑反対の絶好のイコンにしようと
21人の自称弁護士が集まった。

たった一人の犯罪者を弁護する為に
たった一人の遺族を追い詰める為に
たった死刑反対と言う自らの信条をアピールするという目的のために。。。

そこには正義を貫くという気概は見られない。


その流れに流されたのか、
調子に乗ったのか
開き直ったかのような
犯罪者の態度。

もはや精神異常による責任能力不適当を狙った姑息な作戦だ。

もちろん自称弁護士達が指示しての発言であれば
この21人も万死に値する。

そうでなくてもこのような世迷い言を信じて
弁護を貫くというのであれば、、、
法の番人としての弁護士と言う職に値する人間性ではない。



この犯罪者。
並べ立てた虚言・妄言は汚物のようだ。
こいつの口からは汚物しか出てこない。
もはや微塵もこの世に生きる資格はない。

奴の食事すら税金で賄われているかと思うと
住民税の値上げ分はもとより
税金など払う気になれない。




法とは人の上にあるものではないと思う。
そして法とは公平で明確であるとともに
正義を映し出す鏡でなくてはならない。

愚かな犯罪者に命と尊厳を奪われた人々や遺族の人権と
法廷で虚言を弄す犯罪者の人権、等しい秤で計ってはならない。

と思う。



悪に正義の鉄槌が下る事を。